パスティーシュ? インスパイア? いや,それは言葉を変えただけだ。現在において,すべての創作は「盗み出すこと」以外からは,始まらない。
いま,ミッキーマウスの著作権問題が最高裁で審議されている。米国で著作権法が定められたのは1790年,最初は著作権期間は14年で,さらに14年の延長が可能だった。それが個人作品は作者の死後50年,企業作品は75年になり,1998年にはさらに20年も延長された。それらは作者の創作意欲のためというより,エンターテインメント・ビジネスの事情によるものだ。
優れた作品を紡ぎ出す人たちを軽蔑しようなんて思わないが,エンターテインメント業界の行動は,激しく軽蔑に値する。それは米国も日本も同じだ。そういう行動を許す態度が,コピープロテクトCDのような作者の創作を台無しにする結果を生んでいる。問題として取り上げるべきは,エンターテインメント業界のバカさ加減ではなく,それを許し続けている消費者の態度だ。
現代において,まったくの「無」からモノを作るというのは不可能だ,と云われる。すべての創作は,意図的であれ,無意識であれ,過去のなんらかの作品の影響を受けて行われている。それを否定できる人間は,自己欺瞞に満ちた世間知らずだけだ。間違いを恐れずにいえば,現在のすべての作品は盗作であり,剽窃に満ちている。悪く云っているのではない,それが「普通」なのだ。私がいまここで記しているテキストも,もちろんそうだ。その,当然のことに対し,金のための権利のみを主張し続ける者たちは,創作の世界でももう生き残れないし,情報の自由な流通を基礎とするネットワークの世界でも生き残れない。あとは,もっと多くの消費者が目を覚ますだけだ。
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